提灯といえば、現在では、実用として働きはまったくありません。現在にはおいては、装飾品の1つです。実際、現在使われているもので、ロウソクで明かりを取っているものはほとんどないです。明かりは電球です。だから、わざわざ提灯を使わなくても、もっと明るいように作られたものでもいいわけですが、その外見が目を引くので、使われているだけですね。
しかし、考えてみると、提灯は、江戸時代には、ほんとに重宝なものではなかったかって思いますね。町には、電灯なんてないんです。家の夜の光は、ロウソクか、ランプではなかったかと推測しますね。となると、夜中の町は、ほとんど真っ暗。月明かりしかなかった時代です。その時代において、夜道を歩くものとして、提灯は必須のものではなかったでしょうか。
実際の提灯は、ばねのような作りになっています。つまり、使わないときは、置き場所をとらないのが特徴です。これ考えてみると、すごいアイデア商品なんですよね。当時としては画期的なアイデアではなかったのかって思いますよ。このアイデアにより、携帯用明り取りとして使われたわけです。今の時代の懐中電灯に匹敵するアイデア商品だったと思いますね。
多分、当時はかなり高価な物ではなかったのかなって思います。それに、かなりの量が販売されていたのではないでしょうか。その当たり、ネットで調べてみたのですが、残念ながら情報はないです。とにかく江戸時代に技術が発展したのは間違いないですね。江戸時代は、時代が安定しており、商人層が力を付けた時代です。商人などは、提灯を必要としたと思えますね。その辺を考慮すると、かなり売れていたと思いますよ。
提灯と言えば、まず思い浮かぶのはお祭ですね。今年は子供達と一緒に家族でお祭によく行きました。どこでお祭がやっているのか調べては、主人の休みに合わせてつれていってあげました。ですから、子供達は今年の夏休みはとても楽しかったと喜んでいました。
子供というのは、大きい小さいのお祭に関係なく、提灯があるようなお祭に行くだけで、とても楽しいみたいですね。ほんの少しの屋台しか出ていなくても、『お祭』というだけで気分が高鳴り、ワクワクするみたいですね。そして、家族みんながそろって出かけている、とうい事実に喜びを感じるみたいですから、ほんとに可愛いですね。
今年はそういうわけでお祭に参加した機会が多かったのですが、やっぱり提灯があると雰囲気がでますよね。夕方まだ明るいうちはそう目立たないのですが、暗くなってから、明かりがともると、とても良い雰囲気になりますね。そして、盆踊りの音楽なんかが流れていると、より一層それらしい雰囲気となるのです。
子供が書いた夏の思い出の絵には、花火大会が描いてありましたが、会場へ行くまでの道には提灯がちゃんと描かれていました。子供にとっても印象に残るアイテムだったのですね。また来年もたくさんお祭にいけるといいです。
提灯というと、小学生高学年の時の夏休みを思い出します。私たちの町では、小学生高学年は、夏休みの間、順番に、「火の用心」のため提灯を持って、町を巡回する習慣がありました。先頭のものが持っていましたね。当時から、すでに、実際の生活では、使われていなかったです。40年前の話ですが、当時は、すでに蛍光灯が存在していましたから。
私にとっての提灯は、火の用心の雰囲気を出すための小道具でした。最初、嫌だったのですが、何度か経験すると、みんなとワイワイいいながら、夜の街を回るのって結構楽しいことがわかってきますね。
そのとき、提灯を使っていたので、よりそのときの思い出が強く残っているようです。夏休みって暑いですが、当時は冷房もほとんどの家庭になく、暑い夜を過ごしていました。冷房がまだ普及してなかったですから、夜になると、ほとんどの家庭が窓を全開にしていました。それだけに、火の用心の声が家に届き、効果もあったように思いますね。
あれから、40年です。まだ、やっているかどうかわかりませんが、いい習慣ですよ。提灯を持つので、余計に思い出になりやすいです。昔を思い出すと、小学生の時の「火の用心」の見回りのことを、楽しく思い出します。この習慣は、子供の思い出作りのためにも、継続してくれていたほうがいいですね。
提灯といえば、日本ならではの風物詩だと思います。とても涼しさを感じます。ああ、日本なんだと再認識できるものでもあると思います。祭りやお盆正月に、町や家に吊るしてあり、足元を照らすほどの明るさではありますが、とても風流に思います。
実際の提灯を見ると懐かしいというか、切なさというか、いいなと感じる心は、日本人にとっての感性だと思います。昔、江戸時代の人たちは、提灯を普段の生活の明かりとして使っていましたので、今となっては何か祭り事がないかぎり見かけなくなりましたが、当時の感覚を、引き継いで生きている私たちの心に、それはまだ残っているからでしょうか。
今や、なくてはならないものではなくなってしまいましたが、祭りの季節になれば、提灯は当たり前と思ってしまう考えも、時代の移り変わりによって変化してしまったら、少し寂しいような気がします。明るさを求めてしまったが故に、生活の場から消えてしまった提灯は、これからも無くさず伝えていかなければならない、大切な伝統だと思います。
祭りにあって当たり前、と思う私たちが今います。これから他の何かでも使われていくのかもしれません。もし無くなってしまっても、私たちが、提灯を知らない世代に伝えていく伝道師となっていかなければいけないと思いました。